仏教(般若心経、大乗仏教)もなぜ空(土塊)に魂(ゴースト)が宿るのかを解明できなかった
仏教(般若心経、大乗仏教)もなぜ空(土塊)に魂(ゴースト)が宿るのかを解明できなかった
ある時、風呂桶に湯を入れようと蛇口をひねり、お湯を出し、風呂場から出ようとした時、風呂場のドアの敷居に足が引っかかり、親指から多めに血が出たことがあった。
私の右足の親指は原因は不明だが、皮膚が荒れてささくれだっていた。
その親指の爪が裂け大量の血が滲み出していた。
タオルを足に巻いて、バンドエイドを貼って血止めした。
数日その状態ですごし、バンドエイドをはがしてみると、傷が癒えたのと同時に皮膚のささくれもきれいに治っていたのだ。
そこに傷があると認識し、本心から治したいと願うことで、身体の治癒能力が発揮され、私の右足の親指の傷もささくれも治癒されたのだ。
私はこの身体は神様からのプレゼントだと考えている。
もし、私に身体がなければ、大変な思いをして山を登ったあとの気持ち良い体験もできないし、おいしいものを食べて幸せな気持ちで満たされることも体験できなかった。
私に身体があることで、つらいことを体験したりした。
そして、身体が無ければ、なぜか私を攻撃したり、騙したり、私から奪い取ろうとしたりされることにも遭遇しないで済んだかもしれない。
だけれど、私に身体があることで、他者は私を認識し、可愛がってくれたり、優しい言葉をかけてくれたりするのだ。
たまたま、この宇宙の中の片隅で、元素が集まり、数十年前に私の身体を形づくった。
その人形の土塊は、周囲の土塊(家族)から刺激や愛情という入力を受けることによって、なぜかゴースト(魂)という「波(なみ)」が生じた。
ゴーストは、刺激を受けた五感によって認識した身体を自分であるとひもづけた。
土塊は受けた刺激をすべて記憶した。
千回それを繰り返した頃に、自分が生きていることに気づくのである。
(この社会で)生きるとは、他者を蹴り落とし、自分を高めることである。
そして、よりよく生きようと心に誓うのである。
しかし、この社会は何万もの土塊が自分と同じように競い合っているので、なかなか思い通りにはいかないものだ。
挫折し、希望を失う。
そんなときには、自分が本来、土塊(空)であるのだということを思い出す。
たまたま、周囲からの入力によって生じた波(魂・ゴースト)なのだということを。
求めずに努力し努力せずに成し遂げる人
それが、私の理想像である。
2023年12月 | ||||||
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