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鬼と日の丸の意匠

鬼と日の丸の意匠

薩摩と長州の連合軍が江戸城陥落を目指して攻め進む際に錦の御旗をかかげながら進んだことは有名だ。

それを見た徳川方の武士らは朝敵となるのをとても恐れた。

1300年前の奈良時代以降、ここ日本では天皇に取って代わろうという者は出現しなかった。

建武の新政のわずか一年を除いて自分が政治をしようという天皇もまた現れなかった。

錦の御旗の初出は源頼朝の鎌倉時代のことでわりと最近のことだ。

錦の御旗は赤地の布に金色の太陽を刺繍したものだ。

「日本」の国旗である「日の丸」の初出は1300年前の奈良時代に初代征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が東北の蝦夷と戦った様子が描かれた絵巻物に「日本の敵のはずの蝦夷の船のへさき」にシンボルとして描かれたのが白く塗られた船体に赤い太陽の「日の丸」だった。(清水寺縁起絵巻)

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e国宝

http://www.emuseum.jp/detail/101303/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=233&num=5

1700年前の古墳時代に奈良に住むヤマトタケルが征伐しに行ったのも神奈川、千葉、茨城、長野、山梨の関東の蝦夷だった。

「蝦夷」というのは弥生人の奈良中央がつけた蔑称で、本来は縄文人が作った国「日の本の国」なのである。

そして「日の本の国」の旗印が、雪原を表す白地に湿度が高いときにしか見られない赤い太陽を描いた「日の丸」だった。

既出の絵巻物(清水寺縁起絵巻)には目と鼻を大きく目鼻立良く描かれた蝦夷と呼ばれた縄文の人々が戦う様子が日の丸とともに描かれている。

まるで天狗か鬼のように見える。

桃太郎などに登場し勝手に悪者にされ、桃太郎に金品を略奪され成敗される「鬼」は、目が細く鼻が低い弥生人である奈良中央の人々の視点から見た自分たちとは容姿がまるで異なる縄文の人々だったのである。

蝦夷として関東や東北、そして熊襲として鹿児島、サンガとして日本各地の山奥深くに暮らしていた縄文人たち。

そういう彼ら、いや関東に住む私達は、3000年前に日本列島に入ってきた弥生人に殺され続けてきたのである。

奈良中央は私たち関東東北から国の名と国の旗印を奪ったのである。

10世紀に書かれた「旧唐書」には、和国と日本国は人種が全く別で別の国として詳細に述べられている。

1400年前の飛鳥時代におきた大化の改新の直後702年にそれを認識したようだ。

列伝第一百四十九上 東夷 - 高麗・百済国・新羅国・倭国・日本国

大化の改新直後に書かれた古事記と日本書紀で国名を「倭」から「日本」と記載を急に変えた意味も自ずとわかるのである。

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