契約について考えてみたい
契約について考えてみたいと思う。
私が生まれてはじめて契約したのはいつのことだろうと考えを巡らせてみた。
私立幼稚園も市立小学校も保護者がそれぞれと契約行為を行ったのであって、私が契約したわけではない。
すると、思い出したのが、初めて金融機関と取引を開始したときのことを思い出した。
このときのことは時々脳裏をよぎるように思い出すことが時々ある。
駅前に信用金庫ができて(それまでは農協と郵便局だけだったと思う)、お年玉を預けるための口座を作るために、ひとりで信用金庫の窓口に行ったのだ。
小学生低学年だったと思うが、印鑑を握りしめて窓口のきれいな制服を着たおねぇさんに手続きのしかたを教えてもらいながら口座を作り、ダルマのグッズと透明なケースに入った通帳をもらった。
このときの金融機関への口座開設が初めての業務委託契約だったのだろう。
もちろん、それ以前にもお店でアイスを買ったりしたかもしれない。
私「これちょうだい」
おばちゃん「100円だよ」
私「はい(100円玉を手渡す)」
おばちゃん「ありがとう。(アイスを薄茶色の紙袋に入れてもらう)」
立派な売買契約の成立だ。
アイスを購入したときには、口頭で売買契約が成立している。
アイスを買うのにいちいち契約書やりとりしてらんないし、もし国がそれを義務づけたら、アイスの値段は20%ぐらいは上昇するだろう。
小学生のころ、2軒隣に本屋さんが新しくできた。
戦艦のハードカバーの本を購入した私は、翌日に「これやっぱりいらないや」と思って、本屋に返しに行ったことがあった。
本屋のおばちゃんは「おじちゃんと相談しながら、これカバーがついてたはずだけど…」と言いながらも返金してくれたことがあった。
前日に本を購入したときに売買契約は成立して実行されたのだが、翌日キャンセルをしたわけだ。
このキャンセルが認められるかどうかは、通常は、対象物が消費されていなければ認められる。
最近では、キャンセルを認めない販売者が頻出したために、消費者保護法などというものが作られ、クーリングオフやらいろんな規定がされている。
さて、アイスの場合も本の場合もどちらも契約書を取りかわさずに口頭で契約が成立している。
金額が多寡になると、信用できる相手でないと契約したくない。
1億2千万人のうちの何人が信用できるなんていう情報は存在しないので、自分で判断することになる。
信用を裏ずけするために「文書(書面)」で、いつまでにどういうものを引き渡すか、あるいはいつまでにいくら支払うか、を書いて双方で持ち合うのだ。
これが契約書といわれるもので、後日、「あのときああいったじゃないか」とか「そんなことは言ってません」とかというトラブルにならないように、いつでも見返せるように、数千年前から人類が使っている紙と呼ばれる有機物にプリンタのトナーを文字の形に貼り付けたり、万年筆やボールペンでインクを染み込ませたりしてから、意思表示の証(サインや捺印)をしたものを日付を入れて作っておく。
10年代になって、新しく作られた法令や新しい改正(刑事訴訟法や下請法など)で、電子的な記録であるいわゆるメールが準書面として認められるようになった。
フォレンジックを持ち出すまでもなく、電子認証なんていう誰も使っていない方策を講じなくても、作成日付や改ざんされていないとみなされれば、電子メールは証拠能力もあるし、意思表示の証明にもなるようになった。
私の事務所では、創業からの13年間のメールがすべて保存されている。
最近では、オンラインでの意思表示はメールに限ったものではなく、ウェブ等を介した意思表示は法的にも有効なので、紙の契約書を作ることが減ってきている。
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