私は二つの川の間にある家で育った
私は二つの川の間にある家で育った。
そこは、線路と県道とに挟まれた土地で小さな商店街の中にあった。
確か広い庭のどこかに宝物を埋めた覚えがあるが、今はもう取り出せない。
昔の農家風の建てつけの2階建ての家で、車庫と呼ばれる倉庫があったり、貸家が2軒あったりした。
水は井戸水で、来客があると、その水をボトルに入れて持ち帰るほど冷たくおいしい水だった。
最近では東京の水は美味しいというが、ごくごく飲もうとは思わない。
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父にはよく日本橋や浅草や合羽橋に連れて行ってもらったからか、東京への憧れは強かったと思う。
18才でそこを離れるまで裕福で栄養たっぷりの食事をさせてもらったため、身長は180センチを大きく超えるまで成長した。
子供の頃から小児ぜんそくで体が弱く、大人になった今でも毎月のように風邪をひくし、月に何度もお腹をこわしたりする。
今では、風邪をひいたりお腹をこわしたりしやすいのは、悪いものを体の外に出すための仕組みなのだと理解できたが、メロンなどの果物を食べると必ずお腹をこわすので、青年期にはずいぶんと嫌だったものだ。
肌の色が青白いのが子供の頃から嫌で、夏になると日焼けをするためにベランダにビニールのリクライニングを持って行っては横になっていたものだ。
父は子供に何も言わない人だった。
今思うとずいぶん親不孝をしたと思う。
小中学校の時には何人も怪我させて学校で大きな問題になったが、決して子供を叱らなかった。逆にかばってくれるような人だった。
夏のお盆になると、父が仏壇を飾り付けたり祖母が胡瓜や茄子で馬を作った。
私は父から飾り付けの方法を学ばなかったので、どうやっていたのか分からない。
そればかりか、父からこれといって教わったことはないのだが、大切なことは身についているのだと思うし、父は私の体の中で生きているのだとも思う。
親から子に記憶が伝わることが確認されている。
いわゆる前世と言われるものがあるとしたら、それは親を含む先祖たちの記憶だと思っている。
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よく父と二人でお墓まいりに行った。そこは家から少し離れたお寺にあって、私が高校生ぐらいの頃に父が新たに造成整備した墓地だった。
10年前に、父が購入してあった墓地に墓石を建てた。
夏になると毎年そこにお線香とお供え物を持ってお墓まいりに行く。
海が近いせいか、東京の多摩とは違った空気を感じる。
親不孝だった私のせめてもの償いをしているのだなと思う。
最近、夏にお墓まいりに行くのが楽しみでさえある。
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